福島県白河市の鍼灸院、日常の鍼灸治療の診療日記や、学会参加記、趣味の日記
みなさんはどんなクリスマスを過ごされたでしょうか?
私の方ではイブに親類に不幸があり、家族散り散りのまま家で留守番をしてました。
冷えて固いフライドチキン・飲み頃を過ぎて凍り付くような冷たいワイン、そんなもので過ごした一夜でした。
亡くなった方のことを振り返ってみようと思います。
その方は・・・
91歳の齢を重ね、若い頃大病を患ったにもかかわらず晩年はたくさんの孫に囲まれ、多少は体も不自由だったのだがが、とても充実した人生を過ごされた方のようだった。
その日は昼に好物の餅を食べ、家の方が午後に様子を見に行ったとき、すでに安らかな顔のまま冥府への旅へ出られた後だったそうだ。
60台の終わり頃、脳出血を発症。
右半身不随となりながらも、家のまわりを杖をついて歩き、待ちわびた田植えのシーズンを迎えると、自分は今でも現役であると誇示したいかのように軽トラの助手席に乗り込み、作業の監督をしていたり。
90歳近くなり、めっきり外に出なくなったようだった。
それでも正月や盆に集まる曾孫のために、口座から現金を出金してもらい、小さな可愛い小遣い用の封筒を曾孫の数だけ用意していた。
90歳を超え、心不全と肺水腫のため呼吸困難などを起こし2ヶ月くらい入院するが、日ごとに快復し家族や周囲の親戚などを驚かす。
退院後、家では一日中ベッドの上で過ごし、在宅医療として近所の内科医の往診を受け、ヘルパーさんなどにも世話になっていた。
軽い幻聴や幻覚、また痴呆などの症状もあったのがだんだんとなくなり、家族と普通に会話し、時には笑ったり。
幸運なお年寄りだったようだ。
亡くなる日には餅を食べてリキを入れ、『さぁいくぞ!』と旅立っていったのかも知れない。
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そんなわけで私だけ家で留守番してました。
亡くなった方も気の毒ですが、私も毒だったかも知れません。
家でテレビを見るにも興味のある番組はやっていないし、買い置きのDVDを見てました。
『戦場のピアニスト』を観たのですが、第二次世界大戦でナチス・ドイツに侵攻されたポーランドが舞台の映画です。観た方も多いと思います。
ドイツ人の将校にショパンの幻想即興曲第66番を演奏して聴かせるシーンが心に残ります。
クリスマス・イブにはぴったりの曲ですし、ポーランドを代表する偉大な作曲家ショパンはとても好きな曲が多く、『別れの曲』も好きな曲の一つです。
小学校などの下校時には、必ずと言ってスピーカーから流れていた曲です。
大林宣彦監督の映画で、『さびしんぼう』という映画があります。富田靖子が主演のどことなく影のある転校生を演じるものです。
この中で、放課後にピアノで別れの曲を弾く富田靖子も大変印象に残っています。