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医師が傷を縫い、神、これを癒し給う

標題の言葉はかの有名なギリシアの医聖ヒポクラテスの言葉である。

傷を縫うとは外科手術を指して言っているが、内服薬、湿布、手術、そして私たち鍼灸師が行っている鍼灸も現代では医療行為に含まれるし、ヒポクラテス時代であっても『傷を縫う』行為の中に含まれると思っている。

手術や投薬、そして鍼灸も、病んだ病人に治癒のきっかけを与えるだけで、実際に病気を治していくのは患者の治癒力である。

胃ガンで胃を3分の2切除し、また数年前に腰痛のため腰椎を手術した患者さんが昨日治療にいらした。
たまたまこの日は東京の鍼灸学校に通う1年生が研修に来ていて、その治療をつぶさに見ていた。
『胃も切った(ガンの経過は非常に良好)、腰も手術したのに、腰痛は治らない』と嘆いているその患者さんに、ヒポクラテスの『医師が傷を縫い・・・』の言葉を教えた。患者さんよりも、その研修生に良く聞こえるように言ったつもりだ。

悪いところを手術で取り除いたのだから、あとは飽きずに鍼灸を行えば体力も付いて必ず良くなるだろう。
そんなことも話した。

腹部の手術創はまだ新しく、やっとケロイドが綺麗になってきたばかり。
『鍼灸は効くけど、ちゃんと定期的に病院で検査しないとダメだよ』と念を押す。

ヒポクラテスの誓詞と言うのがある。

医聖・ヒポクラテスが、驕ることなく日常の臨床に携わる者の心構えについて説いた信念の誓いである。
そのなかに、師弟の関係について述べた一節がある。

・・・この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、・・・(略)・・・彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える

教えを授けてくれた師を、親のごとく尊敬する。そして教え乞うものには、無償ですべてを授ける、と説いたものだ。

とかく鍼灸の世界では、技術は世襲や一子相伝とか、そんな秘密技のようなものが多いようだ。

私には身近なところに尊敬する鍼灸の先生がいる。
その尊敬する理由は学会での発表などの学術的な功績ではなく、多くの患者に囲まれて繁盛していることでもない。なによりも後進の若い鍼灸師を育てているところだ。

夏休みを返上して勉強しに来るこの学生は、もともとは当院の患者だった。銀行員という安定した職業を捨て、定年まで数年という年月を顧みることなく退職したそうだ。自身の将来の夢は、人々の健康作りに関わり役に立てるようになることだ、という。『鍼灸師を目指して今学校に通っている。先生のところで時間があるときに勉強させて欲しい』と現れたときには正直困惑した。しかしこの道を志した動機を聞き、心から歓迎した。
私のところでは学ぶべきものはほとんどないと思うが、何かを感じてもらえたら大変嬉しいものだ。