福島県白河市の鍼灸院、日常の鍼灸治療の診療日記や、学会参加記、趣味の日記
私、、血液型はB型です。
学会の開催日を間違って勘違いしておりました。
開催する週を翌週だと勘違いしてまして、
ほんとダメなマイペースB型です。
開催する週はじめに山形の不妊症研究仲間の山形市・麗明堂鍼灸院の五十嵐先生から、『いよいよ今週土曜日ですね』とメールが来て、、、トドメに郡山市の一寸法師ハリ治療院の中沢先生から理事会のメーリングリストに流れたメールに『今週末の山形の学会・・・』とさらりと1行を見つけ。。
なんと学会は四日後・・・患者さんの予約たくさん取っちゃった(汗)
スタッフと手分けして、患者さんに平謝りで電話をかけまくり・・・予約を取り直して頂いて。。。
さてあとスライドを何とか作り。。
資料も作り・・・前夜に五十嵐先生に印刷して〜と送り。。。大変ご迷惑をおかけしちゃいました。
ホント、危なかった。。。
さて、
学会当日1日目・・・
午前中だけ仕事させて頂いて、、、
ばたばた診療していると、『産まれました』のコーナーで写真を紹介させて頂いた まいちゃん一家がご挨拶に来てくれたので写真を撮らせていただいて・・・許可を頂いて今日講演に使うスライドに使わせて頂きましたm(_ _)m
昼まで診療して、すぐに高速に飛び乗りました。
宮城に入るまで、スライドの順序と話す内容を反芻しつつ・・・そうすると白石あたりで大渋滞。
対向する上り車線でトラックが燃えていました。
到着してすぐに講演なんですが、行く末を表しているような。。
到着して会場に飛び込むと、いわき市で開業されているたけのこ鍼灸館の永山先生がすでに発表されておりました。
演題:『鍼灸が奏功した膝関節水腫とその後のケア』
演者:永山剛士(いわき市:たけのこ鍼灸館)
座長:白井和哉(郡山市:太田整形外科クリニック)
座長は演者の永山先生と同じ青年部の白井先生。
この組み合わせは、実は昨年郡山市で開催された第44回大会で発表する組み合わせだったのですが・・・
その前夜、永山先生の奥様が第一子で産気づき、急遽取りやめになりました。
今回の発表の終わりに、『去年はごめんなさい』とお子様の写真をスライドでお見せし、事情をお話ししておりました。
会場では赤ちゃんの写真が出てきて、堅かった雰囲気が一気に和やかになりました。
地方の学会はいいですね。ほんとに、やさしい治療者の集まりだと痛感しました。
ついでに言えば座長の白井先生もパパになったばかり。
両先生とも親バカちゃん全開でした。
(つづく)
<大会二日目10月11日>
(会場である、京都テルサ)
大会二日目、と言うことは講演を行う日。
朝9時から講演開始で、修了は12時。実に3時間という長丁場です。
(左・私、右・中村先生)
私と中村先生のそれぞれ50症例の中から3症例ずつがピックアップされました。50症例のうちどれが選ばれても発表できるようにすべてプレゼンのファイルを作っておきましたが、私の症例では体外受精のアシスタントで鍼灸が役立ったというような症例より、難治なケースでの自然妊娠に票が集まったという印象がありました。
最初から症例発表を行わず、まず最初に座長の秋森先生が不妊症の疫学や定義をお話しし、私が『基礎編』と名付けて不妊症の簡単な説明を行いました。
おもな不妊症の原因について触れ、つづいて中村先生が最新の不妊治療のトピックスを話してから症例発表に入りました。
会場は168席の中規模の会議場と言ったところでしたが、予想以上に聴講者が入り、補助椅子を通路に並べたり、また開始後からは立ち見が出たりと会場は聴講者がぎっしりと詰まりました。
受付でカウントしていたセクション責任者の話では、入れ替わりがあったが300人位は聴講者があったとの事でした。
開業の傍ら、京都でも随一の高度生殖医療を行うクリニックの中で鍼灸不妊外来の担当もしている中村先生。
特殊な症例があったりその病態の把握はやはり鍼灸師離れしていました。かたや私は一介の田舎の開業鍼灸師。専門医に患者さんの精査や加療の依頼はすれど、ごく一般の鍼灸院の代表。しかしながら難治性不妊、特に原因不明症例での自然妊娠には、自分なりにその治療哲学は持っているつもりです。それを話す時間もたくさんあったので、思いっきり持論を展開させて頂きました。
発表後は多くの質問がありました。
覚えているだけのもので、年単位での長期治療例が多く、なぜ長期間治療できるのか? PCOSの患者さんを扱っているが、治療期間の設定や生活指導はどうして「るのか? 妊娠後、流産予防の治療は不妊の治療とどう違った治療を行うのか? など即答出来かねるような高度な質問も多く、不妊治療については詳しい先生が多く聴講していた印象がありました。
私のあとは中村先生の3症例の発表があり、中村先生もご自身の症例を紹介するにあたり、最新の生殖医療の知見を交え、力を込めてお話ししていました。そして3時間という長丁場もあっという間に過ぎて座長の秋森先生の結びのお話で講座を無事終える事が出来ました。
中村先生と3時間にも及ぶ、しかも症例を前日に選ぶという前代未聞の講演も、不妊治療について豊かな経験のある秋森先生が座長であったから実現できたのかもしれません。
(座長の秋森先生)
講演が終わって会場から退場になっても、最後まで会場に残っていてくれたのは以前に青年部委員会で委員をしていた仲間の先生たちでした。
聴講者が多くて気がつきませんでしたが、旧い仲間に見守って頂いて、無事講演を終える事が出来ました。
往路と違い、帰りは新幹線。京都から東京までは“のぞみ”で。東京〜新白河までは“やまびこ”。
帰りの京都駅で座長の大役を務めて頂いた秋森先生と、近藤前日鍼会青年部長の3人で鰻屋で乾杯したせいかアルコールが廻って寝っぱなしで帰ってきました。
大阪〜京都〜滋賀と急ぎ足で巡り、ホテルに缶詰になった事しか覚えていませんが、このときの講演の内容についての質問が今でも時折電話で来る事があります。
特に講演から1ヶ月も経った頃、山口県鍼灸師会の橋本副会長からはたくさんの質問をいただき、よくも講演の内容を覚えていたものだとびっくりしました。
それなりに聴講者のみなさんの印象に残ったのでしょうか。
(終わり)
こちらにも簡単な講演記があります。
↓
http://www.sanpei89in.com/diary/diary.cgi?no=793
おまけ画像:
新・都ホテル 陽明殿のフレンチ・・・しかしお刺身。
学会一日目の懇親会にて。
同じホテルに宿泊していたゾマホン氏。
デジカメを取り出せず、去ってゆく姿を携帯のカメラで。
ゾマホン氏に声をかけてゲットした冊子(ゾマホンの教育熱心・篠原先生がいただいた)
昨年10月9日・10日の二日間に渡って京都で開催された第6回公益社団法人日本鍼灸師会全国大会で不妊症で講演させて頂く機会がありました。
思えば丸一年かかって準備したり、たくさんの方たちに支えられて実現した思い出深い学会での講演となりました。
鍼灸師会の会報に投稿した内容を、一部手直しして何部かに分けて掲載いたします。
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<大会前日・10月9日>
『関西へ学会などでお越しの際は、ぜひ寄ってください』と、懇意にしていただいている滋賀県栗東市で開業している産婦人科の千葉隆史先生の数年越しのお誘いで、大会前日に大津のプリンスホテルで会食する事になっていました。そのため前泊で大阪〜京都経由で滋賀県の大津市を目指します。
昼まで仕事をして、福島空港から午後3時半発のアイベックス航空78便に乗り込みました。
秋の三連休の初日、50席の小さなジェット機は満席でした。小雨の福島空港を軽やかに離陸し、一路大阪・伊丹空港を目指します。天気が良ければ富士山くらい見えるか・・・と期待しましたが、道中の窓から見える景色は雲の中で真っ白け・・・まるでこれからの講演の行く末を暗示しているように思えました。
講演の打診があったのは、第5回大会(東京大会)の時。以前から親交のあった京都の中村学術部長と京都府師会専務理事の熊野先生から、『京都大会のテーマは“鍼灸だから治せる”なのだけど、不妊症でうちの中村先生とどうかな?』と声をかけられたのがはじまりでした。
翌年の春くらいから、講演の内容についての具体的な話し合いがはじまりましたが。私と中村先生のダブル講師で3時間の講演。
おのおの妊娠症例を50症例ずつピックアップし、その中から講演前日に聴講者に聞きたい症例を選ばせて数例を発表するという前代未聞の講演として企画が出来上がりました。
このようなやり方が果たしてうまくいくのか・・・参加者でごった返す会場でどうやってアンケートを取るのか。そんな心配から今飛んでいる空同様にまったく何も見えません。
(まさに五里霧中の雲の中・静岡上空)
講演は大会二日目で、その前日に会場で症例一覧を掲示してアンケートを取るという事になりました。さてそんなギミックがうまくいくのでしょうか・・・などとうつらうつらまどろみながら考えていると、定刻通りの夕方5時に機はやはり小雨模様の大阪国際空港(伊丹)に到着しました。
大阪・伊丹空港からはリムジンバスで約1時間揺られて京都駅へ。そこで産婦人科の千葉医師と面識のある中村先生と合流して、電車で大津へ向かいます。
大津プリンスホテルにて先に来て待っていただいていた、ちばレディースクリニックの千葉隆史院長、事務長さん、助産師さん、看護師さんなど、なんと総勢6名での大接待。『千葉先生、今日はずいぶん前から楽しみにしていたんだよ』と中村先生に耳打ちされ、大変恐縮しました。
また今夜の夜間分娩になるかも知れない患者さんが入院しているそうで、急遽代診の先生を一人お願いしてきたとか・・・。頭が下がりっぱなしでした。地上36階から夜の琵琶湖を眺め下ろし、松茸や落ち鮎の京料理をいただきながらの会食は楽しく、千葉先生からは産科にまつわる興味あるお話しをたくさん聞かせていただけました。
千葉先生はもともと大手電機メーカーのサラリーマンだったそうで、途中から医師を目指した異色の先生です。言葉もあまり多くないどちらかと言えば寡黙な印象がありますが、とても心の広い、そして産科医療には絶対的に必要な優しさを持った先生です。
また綺麗どころばかり集めて下さったような事務長さん助産師さん看護師さんなど、気遣い上手で知性が感じられ、千葉先生を囲む雰囲気も温かでした。
良いスタッフに恵まれている千葉先生のクリニックで分娩されるプリママさんは幸せだな、と思いました。
(ちばレディースクリニック・千葉先生、職員のみなさま。背景は琵琶湖)
(個室の窓から携帯で撮った琵琶湖の夜景)
(つづく)