福島県白河市の鍼灸院、日常の鍼灸治療の診療日記や、学会参加記、趣味の日記
今年のGWは2分割される方、思いっきり9連休される方、分かれることかと思います。
当院は零細自営業なので(笑)テキトーに休みを二日くらい取れれば結構です。
29,30の2連休。
3、4、5は半日仕事して、夏の旅に備えますか。
29日は早朝4時30分に東北道・那須SAにて仲間と待ち合わせ。
これが前日から舞い上がって眠れない、という遠足前夜の幼稚園のガキンチョの心境。
つつましい1泊の旅は、伊豆のお宿に泊まって旨い地魚なんか食べて、のんびりしてくるか、というもの。
福島〜栃木〜群馬〜埼玉〜山梨〜静岡〜神奈川〜東京と、8都県走破の片道500キロちょいくらい。
伊豆スカイラインを走りたい、箱根は通過でいいや、、新東名も出来たら走ってみたい。生シラス丼と桜エビの掻き揚げが食べたい!とか、、そりゃ欲張りな要求が仲間から出ます。
そんな夢の二日間の話をしているうちに、旅は半分終わっちゃうもんですな。
さて、、、
朝で寒い高速をひた走り、羽生で降りて秩父の山の中を走ります。
山梨から南下して、新富士ICから新東名へ乗ってみました。
設計が140キロの制限速度だった、というので、なるほど走りやすい! トンネル内も事故を想定してか路肩が広々。
でも富士川の橋を渡っているときだったか、、結構な横風があって、やっぱり100キロで良いんじゃない?と思いました。
新東名では、駿河湾沼津SAに寄ってみましたが、これが激混みのTDL状態。生シラス丼どころか食べ物にありつけない状態なんで、、沼津でラーメン食べました。
コヤマ君、良いじゃないの旨いラーメンだったんだから(笑)
ここでいきなり宴会の写真になっちゃいますが。
地魚・イサキ、サザエ、ヒラマサ、、あとはカツオにマグロ、ホタテ。
写真にはないけど、なんとステーキまで付いていた山海の幸満開。
和えてあった菜の花のおひたしが春を感じさせますね。
ここで二日目の富士山・山中湖付近。
この後、津久井湖から中央道〜圏央道〜東北道と乗り継ぎ、夕飯前に無事到着。
仲間とは白河インターで手を振って分かれ、、今度は海の日ね!ということで。
写真の枚数が少ないですが、、従軍カメラマンのオザワ君が超多数撮ってくれまして、、後日アルバムで公開させて頂きます。
日曜は、朝5時起きで準備して、那須甲子道路へ。
山岳路をすいすいと走り出しますが、路面はウエット。
見晴らしの良いところで、このところすっかり目立ってきたススキと秋空をカメラに収めていると・・・
聞き覚えのある排気音。
ZZR-1400のコヤマ君でした。
走ったり止まったり、景色を見たり、ほどほどに走りを楽しんで下山。
まだ朝早く、人気のないキョロロン村の自動販売機でコーヒーを飲みながらしばし雑談。
そのままさらに白河まで降りて、ファミレスで朝食をとって別れ、9時に帰宅。
そのまま、草刈機で家の裏の土手の草刈。
昼近くからは、コヤマ君に手伝いをしてもらいながらきこり作業。
あ〜疲れた〜〜
翌朝は、朝から好天。
雲もあるものの、いい感じの晴れ。
ホテルでの朝食前に、海辺を散歩しました。
6時半に朝食を摂り、すぐ出発。
急ぐこともないのですが、人気の少ないうちに八甲田を越えたかったのです。
奥入瀬渓流にて。
住まば日の本 遊ばば十和田 歩けや奥入瀬三里半
終生、酒と旅を愛した明治の文豪、大町桂月の言です。
ここは何度も来ていますが、毎度通過するだけ。
この次は歩いてみましょう。
十和田湖畔で少しだけ休み、峠道を下ります。
しばらく下り大湯環状列石を見学します。
これは全体像をわかりやすくするためのミニチュア版。
実際はこんな風に大きいものまであって、なかなかわかりにくい様な。
先に有料の資料館も見学しました。
歴史の授業のおさらい、って感じかな。
3500年前の縄文時代は、あまり食料も豊ではなく、したがって集落は少人数で分散傾向があったとか。
そんななか、ときどき、年に数回一族が集まる必要性から、こんなランドマーク的な石の建造物ができたんだとか。
なるほど〜。
ここから八幡平の高原を走り、今夜のお宿へ。
お宿は羽後本荘駅前のビジネスホテル。
バイクを駐めてチェックイン。
一風呂浴びたらさて、飲みに行きますか。
食べログで調べておいた焼き鳥屋さんに。
道すがら見つけた朝顔。
これが奥さん!すごいですよ〜
二階まで伸びちゃって、三階に届きそうな勢い。
・・・それに比べて花は少ない。
芯止めしないと、勢いが花に行かないとか。
なるほど、家の原坊の朝顔も芯止めしないと。
お目当ての焼き鳥屋さんで、絶品のつくねと、鶏レバー。つくねは、外はかりっと中はジューシーな。
秋田まで来たんだから、と、比内地鶏の塩焼き。
肉質は硬めで締まってますが、噛めば濃厚な鶏の味。
大満足でホテルに帰り、さてもう一杯。
本荘駅前もやっと日が暮れてきました。
翌日は朝5時出発で、昼過ぎに自宅に着きました。
やることがあって、2泊といえど3日目は自由に遊べないという、ホントに貧乏暇なしの旅でした。