福島県白河市の鍼灸院、日常の鍼灸治療の診療日記や、学会参加記、趣味の日記
18日(土)・19日(日)は東京で研修をしてきました。
時間も多少余裕があったので、改装のため休館していた上野の科学博物館にも行ってきました。
この日は前々から見たかった大英博物館の古代エジプトの発掘物などが特別展として展示していました。
(来年の2月18日まで展示しています)
協賛の朝日新聞サイト
http://www.asahi.com/miira/index.html
上野の国立科学博物館は東京に行ったときはほとんど寄ってくるのですが、昨年秋から全館休館になっていて、ほぼ一年ぶりの見学となります。
ファラオ(当時の王)たちの棺が見つかりはじめた1900年代頃は、発掘も宝探しとあまり変わらなかったようで、ミイラを納めた棺を乱暴に破壊し、貴重な資料でもあるミイラそのものも粗雑に扱ったそうです。
今回の展示の見物は、最新のCTや3D技術で立体化したミイラを、木棺を開けることなく見てみようと言うもの。 特別展会場への入り口付近。前もってローソンで前売りチケットを買っておいたのですが、それでも並ぶ並ぶ。
まずはシアターでミイラの木棺ごと3D化した映像などを見ます。 並んでいる間、パネルを見てミイラを作る意義について学ぶ。死者はいったん冥府にわたったあと、冥界の神オシリスのもとで審判にかけられるという。その後復活したとき、魂の戻った先の肉体を保存しておくために、腐敗しないようにミイラを作った、という事です。
この先は撮影禁止で、デジカメはしまいました。
レントゲンCTで透視し、3D化した主はネスペルエンネブウという高い位の神官だとか。木棺に書かれているヒエログラフ(古代エジプト文字)からわかったそうです。
現代の科学の粋を集めた研究結果では、ミイラの背骨に骨棘が少ないことから、老年前の年齢であった、とか、死因は頭蓋骨に見られる孔、しかも外側からではなく、内側から進行していったものであることから、病死、おそらくは脳腫瘍だったのではないか、とのことでした。
このあと、大英博物館から持ってきた130点もの埋葬品や副葬品などを見ることが出来ました。 全然関係ないですが、こんなところにも行って来ました。
どこなのかわかるでしょうか?
クリスマス・シーズンに入り、すごく混んでいました。 水上の巨大なクリスマスツリーです。
仕事から帰って家につき、車を降りたところで見上げた夜空は満天の星空です。
東の空には、この冬初めて見るオリオン座。
乱暴ゆえに、狩猟の神アルテミスに憎まれ、毒サソリを使って殺されてしまったオリオン。
きっと、夏の星座であるサソリ座がいなくなり、安心して出てきたのでしょう。
冬の夜空はギリシャ神話の絵巻物のようです
オリオンの振りかざす棍棒の先には、大神ゼウスの化身の雄牛座。牡牛座の肩のあたりにはプレアデス星団(日本名は“すばる”)が見えます。
すばる(プレアデス星団)は、ごく小さな北斗七星のようなかたまった小さな星の集まりです。
その後方から物語が始まります。
エチオピア王のケフェウス座、その妻で美しく傲慢なカシオペア王女。カシオペア座はいすに座った王女が逆さにつるされた形で夜空に見えますが、これは王女が傲慢ゆえに憎まれたから逆さにされた、と言われています。
まるで天界のイジメみたいなものですね。
ケフェウス王とカシオペア王女の間には、美しいアンドロメダ姫がいました。しかし母親カシオペア王女の傲慢さのため、海岸に繋がれて海獣クジラに呑まれそうになっていました。
今まさにクジラに呑まれそうになっていたところを、天馬ペガススにまたがった勇者ペルセウスがたまたま通りかかり、助けます。
ペルセウスは、ついさっき倒してきたばかりの妖怪メデューサの頭を使って海獣クジラを石に変え、海中に沈めたのでした。
メデューサの頭、と言えば肝硬変の時に現れる腹壁静脈の怒張ですが、生理学だったか病理学だったか、学生の頃習ったのを思い出します。
もっと寒くなれば、オリオンや牡牛座も天頂付近に現れることでしょう。
寒さにじっと耐え、冬の澄み切った夜空を眺めるのもいいものです。
犬が出てきたところで思い出すのは、鍼灸学校の時に飼っていたトラ猫です。
鍼灸学校に通っていた頃、実技の先生が『寝ている猫を起こさないようなハリの刺入技術を覚えなさい、それを会得出来たら一人前かも』と言っていました。
寝ている猫の目を覚まさない刺鍼技術・・・。
まず猫がいないと始まらない訳ですが・・・。
たまたまある夏の夕暮れ時、中野のアパートで夕食にサンマを焼いていました。
夏ですし、窓は全開に開けて焼いていたわけです。
窓のすぐ外には隣家の塀があって、ちょうどそれが窓の高さでした。塀の上ぎりぎりには隣家の隙間から見事な夕焼けが見えます。
そんな夕暮れ、夕焼けを背にして猫が一匹塀の上を歩き、我がアパートの窓の前で立ち止まったのでした。
サンマを焼く煙に惹かれ、やってきたのでしょう。
その日からそのトラ猫を私は大家に内緒でアパートで飼うことにしました。
学校に行っている昼間は、少しだけ開けておいた窓からその猫は自由に出入りし、猫との同棲生活が始まりました。
『寝ている猫を起こさないようなハリの刺入技術を覚えなさい、それを会得出来たら一人前かも』・・・ある日、この言葉を思い出します。
ハリなんかいくら痛くてもタカが知れているし、それじゃあこの猫を練習台にして刺鍼の練習でもするか・・・。
となりました。
ちょうど良い具合に、満腹で背を丸めて猫は寝ています。ステンレス製のハリを、鍼管を使って弾入し、刺入します。
1本、2本、・・・5本、8本・・・、猫は寝たままです。
もしかして自分は天才か?
9本か10本目の刺入で、ニャオーっと急に目を覚ました猫は、いつも開いている窓からハリを刺入したまま逃げだし、夏の闇に消えていったのでした。
矢鴨とかちょっと前に騒いでいましたが、鍼灸治療のハリを何本も背負ったままの猫が発見されたら、ちょっとまずいことになります。
その猫のことを忘れ、10日くらい経ったある日のことです。だいぶ短くなった夕暮れを感じながら、たしかスルメなんか焼いていたと覚えています。
スルメを焼く煙は、猫には悩ましすぎたことでしょう。窓からのぞくだけで、アパートに入ろうとはしません。それでも手を伸ばせばいやがることなく、その猫は私に抱かれます。
ハリは一本もありませんでした。おそらく動いていて抜けたのでしょう。
それからまたしばらく猫を飼ったのですが、年を越したある冬の夕方からいなくなってしまいました。
今思えば動物虐待にあたるかも知れませんが、そんな猫との共同生活の思い出です。