その他

掲示板(BBS)スパム対策

世の中には偉い方がいらっしゃるものです。

当院のホームページでは、電子掲示板【ご意見・ご質問掲示板】にて、様々な病気と鍼灸治療などについて質問を頂き、回答を書かせて頂くシステムを取っています、、、、

  が、

これがまた海外からのスパム(宣伝行為などの迷惑)書き込みが多発し、ほぼ毎日書き込まれ、それを手動で消すシステムを取ってきました。

スパムのパターンはほぼ決まっており、海外の医薬品販売やアダルトページへのリンク誘導、また日本語では出会い系やアダルトサイトへの誘導ばかり。

一定のアルゴリズムがあるので、CGIを書き換えれば投稿制限できるかも?と考えていたのですが、、

実際、CGIを直すのは素人には難しく、スパムに強いCGIの導入を検討していたのですが、目出度くこのたび今現在使っているCGIの改良版(ほかの方が改造したスクリプト)を発見しました。

早速ダウンロードして仕込みました。
禁止キーワードやホスト名、そんなのを盛り込んでテストしましたらかなりいい感じです。
(テストでは、いろんなパターンでテストしてみました)

そのスクリプトは
http://swanbay-web.hp.infoseek.co.jp/index.html

こちらからダウンロードできます。

生江鍼灸治療院 開業お祝い

本日は、来週29日(日)に開業オープンする郡山市柴宮の生江鍼灸治療院にお祝いに行ってきました。

院長の生江先生はまだ20代。
いつも鍼灸師会の行事に積極的に参加・協力してくださっている先生です。

参加者は、一寸法師ハリ治療院の中沢先生、ゆみ治療室の樫村先生、矢吹町・あけぼの鍼灸院の佐藤先生、いわきから、はりきゅう・はしもとの橋本先生、心体治療院の竹村先生、白河からは、太田整形外科クニック勤務の白井先生、あと私。


10時半過ぎに治療院前に到着。
以前に接骨院であったという建物は、鍼灸院にはとても良く向いていると思われました。

真新しい看板もカバーをかぶったまま。



『来週からオープンでしょ? ちょっと地味じゃない? ●月▲日から開業しますとか書いてなくていいの?』

『玄関先の院名のロゴ、素通しのガラスに黒のカッティングシートでぜんぜん目立たないね』

ん〜なるほど、、

そこでBefore & Afterをやってしまいました(笑)

寿司屋での昼食会議のあと、ホームセンターに材料を買い出しに行きます。

まずは玄関先の院名のロゴを目立つように、それと治療院先のフェンスに開院の期日を入れることにしました。

1)まず玄関入り口のドアにある院名のロゴ


ガラスが素通しなので、ロゴが映えません。
そこで後からカラーパネルを当てて、文字をくっきり浮き上がらせるようにします。


2)治療院前のフェンス。


なかなか芸術的なパネルが掲げてあります(汗)
『エグイね、この看板〜』とみんなに評判。

これを外して、『1月29日開院』というパネルを掲げることにしました。



この辺は佐藤先生が得意な分野で、カラーボードにパソコンから出力した文字をパウチフィルムでカバーし、色紙を台紙にして作っていきます。




出来上がって取り付け中のパネル。



いい感じに出来上がりました。



玄関前のパネルもはめ終わり、記念撮影(笑)

良くできてますね。

玄関前の緑のパネルは私の担当でした。

生江鍼灸治療院は1月29日(日)からオープンします。
今後のご発展をお祈りいたしております。

映画と音楽の話(ちょっとだけ)

みなさんはどんなクリスマスを過ごされたでしょうか?

私の方ではイブに親類に不幸があり、家族散り散りのまま家で留守番をしてました。
冷えて固いフライドチキン・飲み頃を過ぎて凍り付くような冷たいワイン、そんなもので過ごした一夜でした。

亡くなった方のことを振り返ってみようと思います。

その方は・・・

91歳の齢を重ね、若い頃大病を患ったにもかかわらず晩年はたくさんの孫に囲まれ、多少は体も不自由だったのだがが、とても充実した人生を過ごされた方のようだった。

その日は昼に好物の餅を食べ、家の方が午後に様子を見に行ったとき、すでに安らかな顔のまま冥府への旅へ出られた後だったそうだ。

60台の終わり頃、脳出血を発症。
右半身不随となりながらも、家のまわりを杖をついて歩き、待ちわびた田植えのシーズンを迎えると、自分は今でも現役であると誇示したいかのように軽トラの助手席に乗り込み、作業の監督をしていたり。

90歳近くなり、めっきり外に出なくなったようだった。
それでも正月や盆に集まる曾孫のために、口座から現金を出金してもらい、小さな可愛い小遣い用の封筒を曾孫の数だけ用意していた。

90歳を超え、心不全と肺水腫のため呼吸困難などを起こし2ヶ月くらい入院するが、日ごとに快復し家族や周囲の親戚などを驚かす。

退院後、家では一日中ベッドの上で過ごし、在宅医療として近所の内科医の往診を受け、ヘルパーさんなどにも世話になっていた。

軽い幻聴や幻覚、また痴呆などの症状もあったのがだんだんとなくなり、家族と普通に会話し、時には笑ったり。

幸運なお年寄りだったようだ。

亡くなる日には餅を食べてリキを入れ、『さぁいくぞ!』と旅立っていったのかも知れない。

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そんなわけで私だけ家で留守番してました。
亡くなった方も気の毒ですが、私も毒だったかも知れません。
家でテレビを見るにも興味のある番組はやっていないし、買い置きのDVDを見てました。

『戦場のピアニスト』を観たのですが、第二次世界大戦でナチス・ドイツに侵攻されたポーランドが舞台の映画です。観た方も多いと思います。
ドイツ人の将校にショパンの幻想即興曲第66番を演奏して聴かせるシーンが心に残ります。
クリスマス・イブにはぴったりの曲ですし、ポーランドを代表する偉大な作曲家ショパンはとても好きな曲が多く、『別れの曲』も好きな曲の一つです。
小学校などの下校時には、必ずと言ってスピーカーから流れていた曲です。

大林宣彦監督の映画で、『さびしんぼう』という映画があります。富田靖子が主演のどことなく影のある転校生を演じるものです。
この中で、放課後にピアノで別れの曲を弾く富田靖子も大変印象に残っています。