趣味

海の日ツーリング

毎年は一泊での海の日ツーリングでしたが、前日に東京に博物館を見に行ったので、今回は日帰りとなりました。

すでに前日からは一泊組としてM氏、K氏が出発しており、この日はO氏と馬を連ねて走り、潮来で落ち合うことにします。

白河を朝6時に出発し、茨城県入りし、水戸経由で鹿嶋〜潮来へと向かいます。

道中の写真もなく、一気に『道の駅いたこ』。



道中は曇りときどき晴れ、といった天候でしたが、とても暑い暑い。バイクはとっても暑い乗り物なのです。



道の駅では、ポルシェやフェラーリといったスーパーカーや写真のような競技車両が展示していました。
写真は高橋国光(古いですね)が1977年にF1日本グランプリで優勝したタイレル007。




こちらは1988年キャビンレーシングのF3000。
星野一義の乗ったchassis ローラ T88/50(エンジンは無限MF308)




この後は合流したM氏、K氏とともに4台で筑波山に登り、白河までのんびりと帰りました。

科学博物館(上野)、古代オリエント博物館(池袋)見学

ようやく趣味の記事が書けることになりました。

梅雨の明けた海の日の連休は、家族を連れて東京の博物館を見に行きました。

21日が最後となる上野・科学博物館では、
「Dr.NOGUCHI 世界を勇気づけた科学者・野口英世」展を見てきました。

猪苗代の野口英世記念館にも貴重な資料が目白押しで陳列してあるのですが、科博では猪苗代では見ることのできない物も多くあると聞き、3週連続で上京しました。



科博入り口のポスター。
企画展でも常設展だけの600円の入場料でOKです。



入り口で撮影はできるかどうか聴きましたが、『存分にお撮りください』とのことで、遠慮なくバシバシ撮ります。



野口博士の生誕から猪苗代の幼少時代や、医学を志すきっかけとなった会津での火傷の手術、また渡米してからの研究生活などが貴重な資料として展示してあります。
写真は、猪苗代での小学校時代の学業優秀を表彰されたものなど。



野口清作から野口英世に改名したことはよく知られていますが、なぜ改名したか、その理由を知る人はあまりいないでしょう。

野口博士が7歳の時に出版された坪内逍遙の小説『当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』に、主人公で東京帝大医学部に籍を置く、野々口精作という書生が登場します。

この書生がたいへんなぐうたらで、『志を得ざれば再び此地を踏まず』と上京に際して決心した野口博士にしてみると非常に具合が悪く、そのため恩師の小林栄先生に相談して名を変えた、ということです。



また野口博士は、日本で一番最初にカラー写真で撮影された人物だと言うことです。



ロックフェラー研究所の正職員、研究員として数々の研究成果をあげ、寝る間を惜しんでの研究は『ヒューマン・ダイナモ(人間発電機)』と呼ばれたほどだったそうです。

その後アフリカ・ガーナに渡り、アクラで黄熱病の研究をしていて、博士自身も黄熱病に感染して10日目に51歳で亡くなりました。

写真はロックフェラー研究所への野口博士の死亡の知らせと、ガーナの当時の植民地知事が発行した野口博士の死亡診断書。研究所長のフレキスナー博士はこの報せを読んでどんなにか衝撃を受けたことでしょう。



野口博士の死亡診断書には、なぜか52歳となっています。Religion-Christianとあり、渡米した博士がキリスト教信者であったことも分かります。



黄熱病で死亡したものは、現地で火葬したり土葬したりするのが普通でしたが、野口博士はその偉業から解剖後に金属の棺をハンダで密閉してアメリカ本国に送られました。これは異例中の異例で、石油王ロックフェラーの命であったとのことです。

野口博士を解剖したウイリアム・ヤング博士も、8日後にはやはり黄熱病で死亡します。

アメリカ本国にもどった野口博士の遺体は、ニューヨーク市郊外のウッドローン墓地に埋葬されました。

墓碑には
『1876年11月24日、日本の猪苗代に生まれ、1928年5月21日・アフリカのゴールド・コーストに死す。
ロックフェラー医学研究所正員である野口英世博士は、科学への献身により、人類のために生き、人類のために死せり』と書いてあります。

写真は墓碑銘のレプリカ。



展示場の片隅には、野口博士へのメッセージを贈るコーナーがありました。
このような地味な企画展でも、熱心に見入る子供たちがたくさんいて、本当に感心します。


うだるような暑さの中、今度は池袋に移動します。
サンシャイン・シティにある古代オリエント博物館を見学します。

ここは会場内は撮影禁止ということで、展示場外の廊下だけ撮影しました。

目的は
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」見学です。




特別展がないと、ホントに人気のない博物館ですが、今日はずいぶんと人がいます。



お目当ての、青いカルトナージュ棺のミイラは廊下の写真だけ撮影。

以前、科博でミイラ展を見てきましたが、そのときほど人はいなくてゆっくり見ることができました。



家で留守番している愛犬のお土産。
蓮田SAで購入の犬用のお弁当。

国産地鶏の雑炊とか。。我が家の犬は3秒で完食しました。



犬用のお手ふきと、おやつ付きで630円ナリ。

くさや・車検ツーリング・下郷〜会津蕎麦散歩

いつも持ち歩いているデジカメをいじっていると、撮り貯めたものがあったので取り上げてみたいと思います。

<くさや>



昨年、クラブFJのミーティングで箱根・伊豆に行き、買ってきてからハマった、くさや。
もちろん好き嫌いが激しいもので、はじめは焼いて瓶詰めになっていたものを食べていたが、そのうち慣れて自分で焼くことになった。

何も知らず、一番強烈な新島の古式作りを通販で大量に買ってしまい、さすがに食べきれず、師会の先生に引き取って貰った。

今は真空パックのものを買い込んで、食べる分だけ焼いている。



もちろん家の中では焼けず、もっぱらバイク小屋で焼く事に・・・ついでに、一人寂しくコップ酒なんか飲みながらくさやを頂く。



<車検ツーリング>

FJのユーザー車検を終えてから1ヶ月後、友人たちのバイクが車検満了を迎えるため、ユーザー車検指南のため引率でツーリングする。



 ヒ●オ号
Beetのチタン集合装着。ただし音量は控えめな優等生仕様 91デシベル。



オーナーの名を冠した県道・羽太〜増見線の某下りコーナーは『ヒ●オOコーナー』と仲間内では呼ばれ、恐れられている。

代理でオ○ワ氏運転。


ヨシ●リ号



走行距離はけっこう行っているが、手入れが行き届いているから、デビルのマフラー音量だけが懸念。と思ったらオーナーはサイレンサーに消音バッフルを仕込むという姑息な手段を取り、94デシベルで合格。

(光軸で1回再検査)
 

トモ●キ号



今回いちばん問題のカワサキ車。
爆音で有名なツキギマフラーを装着。
私が代理車検。

姑息な手段はヨシ●リ号以上で、車検のためだけに持っているサイレンサーに交換。94デシベルで合格。ちなみに普段装着しているサイレンサーは族も恐れる(爆)ほぼ直管。人呼んで“走る迷惑”とも呼ばれる。

車検の時、検査官が測定器で音量を測定するわけだが、割とラフにアクセルを開け閉めする。

ハタで見てたオザ●氏、ヨシ●リ氏が、『あまりアクセル開けると音量上がるのでやめて欲しいなぁ、、、』『もうやめてくれ〜(涙)』と固まる。

この後、土湯峠を越えて猪苗代経由で帰った。



<下郷〜会津蕎麦散歩>

某月某日の木曜午後、M氏と下郷方面にぶらっと走りに行く。前々から旨そうな蕎麦屋が下郷町にあり目を付けていた。



蕎麦屋さんは、

 農家レストラン 蕎屋(きょうや)
   http://www.uyou.gr.jp/kyouya/



大百姓の家に手を入れた、実に落ち着く店の中。
おそらく店じまいした後は、ここで普通に生活しているのだろう、と思う。
庭も見事に手入れされている。



ざる大盛り。

挽きぐるみ十割の生粉打ち。
薫り高く、歯ごたえもバッチリ。

写真には写っていないが、つき出しとして季節の野菜(筍の煮物、アスパラガスの塩煮)を出して頂いた。
自家製野菜のようで、これまた美味。




旨い蕎麦で腹ごしらえして、博士山の麓を走り、会津美里〜会津若松と駆け抜け、会津背炙山で一休み。