No.314の記事

お盆・青森ソロツーリング(3)

3目(8月14日) 合計約170Km走行


青森市内観光
 ・青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸見学
 ・青森県立郷土館見学
 ・アスパム見学

三沢市観光
 ・三沢航空科学館見学
 ・淋代海岸 ミスビードル号太平洋無着陸記念碑見学





昨夜は青森市内のビジネスホテルに泊まった。
ホテル着後は、コインランドリーで洗濯したりして時間が潰れてしまったので、ホテル周辺の居酒屋で一杯飲んで早めに寝た。

 本日も朝から快晴。ホテルを出てすぐの所にある鮮魚店で、自宅宛のお土産を見繕って送ってもらう。


 アワビ、夏ガキ、サザエ、大きなコチなどのほか、様々な魚、エビなどがたくさん並ぶ魚屋。
 目に付いたのは『松前 上物』と書かれた大きなマグロの切り身。いくらするのか気になる。


 お土産を送る手配をしてから八甲田丸に向かう。それにしても朝から猛暑。
 日陰にバイクを停めるが、燃えそうなくらい暑い。暑いと言うよりは『熱い』と言った方がぴったりかも。
 入館料500円を払って早速入場。船内は青函連絡船の博物館となっている。



 明治40年にイギリスで建造され、翌41年から国有鉄道青函連絡船第一号として就航した比羅夫丸。第二号の同型艦・田村丸とともに、蝦夷征伐の歴史上の人物、阿部比羅夫、坂上田村麻呂から取った名前だとか。


 洞爺丸事故で有名な洞爺丸。

 函館・七重浜沖わずか1キロ未満(一説には600メートルとも)の海で、昭和29年に台風15号により転覆した青函連絡船・洞爺丸の遭難事故は1155名の犠牲者を出す日本史上最大の海難事故と言われる。
 しかしこのときの同じ台風で函館沖で沈んだのは第11青函丸、日高丸、十勝丸、そして洞爺丸の合計4隻で、犠牲者の合計はタイタニック号の沈没(1502名)に匹敵する実に1430名だったそうだ。

 水上勉の小説『飢餓海峡』を鍼灸師になったばかりの頃に読み、登場する青函連絡船の沈没事故が史実に基づいた部分であったと知り愕然とした記憶がある。

 青函トンネルが開通し青函連絡船が廃止された今となっては、実際に青函航路を連絡船に乗ることは出来ないが、いつか青函連絡船をじかに見てみたいと思っていた。


 沈没の原因となった、後部の列車搬入口。
 ここからの波浪による浸水がボイラーを止めてしまう。動力を失い、函館出航後からすぐに操船不能となったまま七重浜沖へ漂流し、最期を迎えてしまったそうだ。


 この八甲田丸は青函連絡船が廃止されるまで運航されていた新しい船のため、船内の設備もそれほど古いものではない。
 写真はブリッジ。舵輪やレーダーなどが機能的にまとめられている。


 海図台の上には日本船ならではの神棚(八甲田神社)がある。海外の船だと、礼拝所があったりするという。
 朝な夕なに船員の皆さんは、ここで航海の安全を祈っているのでしょうね。


 船体に列車を格納するという青函連絡船は、その発想も構造も世界では非常に珍しいという。
 客室から降りていくと客車・貨車がずらっと格納されている。ここはエアコンも効いておらず、蒸し風呂一歩手前。


 船の胴体の中にいるとはちょっと思えなくて、もっと時間をかけて見てみたいと思うが、何しろ暑い。
 後ろ髪を引かれるが、外に出ることにした。


 青森駅から分岐して青函航路に入線する移動桟橋。八甲田丸の船尾には浸水しないようにしっかりしたドーム型の扉が付いているが、これは洞爺丸の悲劇から対策されたもの。


 それにしても今日も猛暑・・・。

 次の博物館へ行く前に、アスパムでひと休み。
 数年前に北斗星で北海道に行ったとき、青森駅で深夜に見た三角の建物はこれだったか、と思い出す。


 観光物産館とは言え、ぶっちゃけて言えばおみやげ屋のようなもの。
 盆中ですごく混んでいた。
 ざっと見て歩いたが、青森県内のお土産などはすべて揃っているのではないかなと思う。


 海産物売り場の隣には青森農協のブースがあるが、そこでりんごジュースを量り売りしている。
 紙コップ1杯100円だが、甘み・酸味が絶妙ですごく美味い。


 アスパム2階で、ねぶたの飾りも見ることができた。


 お次は青森県立郷土館。
 青森の先史時代からの歴史、風俗などを展示した県立の博物館、と言ったところか。
 アスパムからほど近く、盆中というのにがら空き。


 『撮影はOKでしょうか?』と受付で訊くと、『論文掲載やホームページに使用する場合は料金を頂戴しています。記念撮影程度であれば結構です

 というわけで、場内を記念撮影しておしまい。

 知らぬ土地への理解を深めるときは、地元の食卓を飾るスーパーなど食料品店とか、古い赤提灯を掲げてある居酒屋、そして博物館へ行くのが一番と思っている。



 正午過ぎまでゆっくり郷土館を見学し、またバイクで走り出す。国道4号線で、昨日走った浅虫温泉、野辺地方向へ向かう。

 野辺地のはずれでラーメンにてランチ。焼き干しラーメンという、魚系のだしの利いたラーメンだったが、細麺で旨かった。
 店の名は“らーめん中濱屋”
 青森県上北郡野辺地町字松ノ木111-93 電話 0175-64-0501


 野辺地から、途中で道に迷いながらも六ヶ所村を通り、小川原湖を見ながら三沢空港に隣接する航空科学館に到着。


 航空科学館に入ると、昭和6年に世界で初めて太平洋無着陸横断に成功したミス・ビードル号(レプリカ)が出迎えてくれる。
 この飛行機を見ることもこのツーリングの目的の一つ。


 ミス・ビードル号の胴体脇には、木箱に入ったリンゴが見える。

 これは当時の淋代村(今の三沢市)の小比類巻村長さんの長男の奥さんのチヨさんという方が、長い道中で青森名産のリンゴ(紅玉)を食べてもらおうと食料のサンドウィッチや紅茶とともに機内に積んでくれたもの。

 この飛行機のアメリカ人パイロット2人は、村長さんの家に寄宿していたのである。

 ミス・ビードル号は当初の予定ではソルトレイクシティに着陸するはずであったが、現地が濃霧で着陸できず、西海岸北のウェナッチ市(ワシントン州)ファンチャ飛行場に胴体着陸した。

 青森はリンゴが名産で、ウェナッチもまた『世界のリンゴの都』といわれるくらいリンゴが特産だったそうだ。

 ミス・ビードル号が太平洋無着陸横断に成功した1月後に、ウェナッチ市から礼状とともに当時のリンゴの新種、リチャードデリシャス種が送られてきたそうだが、残念ながら検疫で引っかかり、淋代村までは届かなかったそうだ。

 翌年の昭和7年に、今度は検疫で引っかからない接ぎ木用の穂木でリチャードデリシャス種が送られてきたという。穂木は黒石市の青森県リンゴ試験場で無事接ぎ木され、大切に育てられたリチャードデリシャス種は、3年後の昭和10年に実がなったという。

 その後、食味の優れたリチャードデリシャス種は国内に広まっていったそうだ。

 そんな縁で、アメリカのウェナッチ市と青森県三沢市は姉妹都市になったという。


 ほか、博物館内はそれほど多くはないが、模型や実機も含めて数機展示してあり、なかなかの見応え。

 写真はYS-11。


 屋外の展示場には、F-104、F-1、T-2、T-2ブルーインパルスなどが展示してある。


 そろそろ日も傾いてきたので、淋代海岸に向かう。

 淋代海岸は長い平坦な砂浜が続くらしく、莫大な懸賞金のかかった太平洋無着陸横断をねらうパイロットが幾度も離陸していったという。

 兵どもが夢のあと、といった閑散とした砂浜に、ミス・ビードル号の実物大の模型がぽつんと置いてある。 我がバイクと並べて記念撮影しようとしたが、砂地でバイクが転びそうになるので、良くないアングルだがこの場所で撮影。


 本日のお宿に到着。

 大問題が発生(涙)

 三沢駅前の旅館ながら、駅前には飲食店は皆無。コンビニもなし(定食屋が一軒あり=休業中 コンビニ=しょぼい小さなコンビニだけアリ)。

 お宿に到着して風呂に入ってビールを飲んでしまったため、バイクで食事に行くわけにも行かず、往復5キロを歩いてマックス・バリュに行き、パック詰めの寿司、、皆様おなじみの“やきとり龍鳳”、タコぶつで乾杯。

 寂しい夕餉ながら、、、心が満たされた一日で何を食べても美味しかった。


 明日は三沢から白河まで一直線に帰る予定。

 (最終回へつづく)