福島県白河市の鍼灸院、日常の鍼灸治療の診療日記や、学会参加記、趣味の日記
曇天で肌寒いくらいの青森の朝。
早く目覚めても二度寝が出来ないので、散歩に出ました。
青森のベイブリッジと八甲田丸。
3年続けて八甲田丸を眺めました。
アスパムの裏手には、白くて巨大な四角いテントが並んでいます。何が入っているのでしょうか?
“そ〜っと覗いて見てごらん♪”とばかりに、覗き窓から見てみると・・・
龍の頭頂部・ツボで言えば百会付近が見えます・・・?
・・・ってぇことは、これが噂に聞くねぶたなのかと妙に感心します。東北電力ねぶた同好会のテントでした。
いったんホテルに戻って越後さんと朝食を摂ります。
越後さんは、この日は八甲田〜十和田湖を回って高速で帰路につきます。
私は市内をバイクでまわり、善知鳥神社を見たあと、棟方志功記念館に寄るつもりでした。
そんな訳で、朝のうちにホテル前で越後さんと別れます。
越後さんと同時に出発し、街中の交差点でお互い手を振って別れました。
私はその後、善知鳥神社に向かしました。
青森市となるまえは、このあたりは善知鳥村という村だそうでした。
善知鳥(うとう)とは、海鳥の一種だそうです。
神社内に、謡曲 善知鳥之旧蹟があります。鎌倉時代の歌人である藤原定家の作で、
陸奥の 外が浜なる呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた と碑にあります。
善知鳥とは親子の情愛の深い鳥だそうです。
親鳥がエサなどを捕まえて来て、ひな鳥の隠れているところで『うとう』と鳴くと、『やすかた』と応えてひな鳥が出てくるのだそうです。
この習性を利用して、陸奥の国外ヶ浜のある猟師が善知鳥を良く捕まえていたそうです。
親子の情愛を引き裂く罪により、この猟師は地獄に落とされます。
あるとき、越中・立山から外ヶ浜に向かう旅の僧がいました。地獄に落とされた猟師が亡霊となり、外ヶ浜にいる自分の妻子の安否を尋ねて欲しいと頼みます。
この物語、謡曲・善知鳥をもとに世阿弥が能の四番目物(雑物)善知鳥を作ったとも言われています。
今回の旅の目的の一つに、青森出身で世界的な版画家、棟方志功の足跡の一部を訪ねることがありました。
この善知鳥神社は、棟方志功の作である善知鳥版画巻の原点になる場所だと思います。
善知鳥版画巻・夜訪の柵(1938)
猟師の亡霊に頼まれて、旅の僧が家を訪ねる場面だと思われます。(後述する棟方志功記念館で購入)
そろそろいい時間になったので、ぼちぼち棟方志功記念館に向かうことにします。
津軽への旅(心の栄養・棟方志功記念館編)へ続く