最近の日記

赤い羽根共同募金

早いもので、もう11月。

社協のかたが赤い羽根の束を持って赤い羽根の共同募金を集めに来て下さいました。



一年早いなぁ・・・もうそんな時期か。

秋から冬。
もうじき車のタイヤの履き替えをして、何となくクリスマス。

今年も大晦日午前中まで診療の予定で、大晦日来院の患者さんには、特性手打ち蕎麦を差し上げようと思っています。

体外受精のアシストとしての鍼灸(特に着床改善)

原発事故から早7ヶ月が過ぎました。

震災の直前に2名の方が胚移植をして、無事着床、と言うところであの忌まわしい大惨事が起きてしまいました。

ご両名とも、あの大変な時期を切り抜けられ、妊娠20週を迎えて当院の不妊治療は無事終了。

今月から、今度は安産に向けた治療に入りました。

体外受精の成功率を上げるため、鍼灸を行うという方が大変多くなってきています。

一つは、何度か採卵され、卵子の状態などが思わしくなかった方や、数度移植しても妊娠に至らなかった方などが、鍼灸をのぞまれるほとんどのケースのようです。

卵子の状態を改善するためには、半年以上に渡る治療が必要ですし、これはなかなか大変です。

京都の中村先生が卵子のエイジングに詳しく、生物科学レベルで実に様々なことを教えてくれます。いずれそのようなお話しをしたいと思いますが、今日は着床について書いてみたいと思います。

形態、分割速度とも申し分のないグレードの良い胚盤胞を数度移植しても妊娠できない、と言うような現象から着床していない、着床できない、という着床不全という概念が最近言われるようになりました。

着床とは、黄体因子、子宮内膜因子、胚因子がいずれもが譲れない因子となり、それぞれが時間的に複雑に関係し合っています。

ハッチングした胚は子宮内膜上皮に乗って接着が起こります。その際にトロフィニンとインテグリンという物質が接着剤の役割をすると言うことです。

インテグリンがよりよい働きをするためには、炎症反応などによって出現するケモカインの働きが必要とのことです。

鍼灸がケモカインの発現に関与している可能性は、以前の記事で書きましたが、おそらくそのような働きも一つの要因なのではないかと思います。

【ケモカインとプロスタグランディン】
http://www.sanpei89in.com/diary/diary.cgi?no=801


参考文献:産科と婦人科 『着床不全の改善を目指して』2003 No.10 診断と治療社

第7回日鍼会大会(札幌)へ参加してきました

10月8日(土)より前泊し、9日・10日の二日間、学会のため札幌に行ってきました。

日本鍼灸師会が毎年開催している学会です。第7回と歴史も浅いのは、実に第48回を数える日本鍼灸師会青年部全国大会と開催十数回の日鍼会臨床学術大会を一本化し、開催数をリセットしたので、まだこんな開催数なのです。

浜松、東京、大阪、京都、と、本州の大都市開催ばかりでしたが、約1000名の参加を持って札幌で開催されました。


(写真はクラーク胸像)

前泊で行き、昼から開会式の前に北海道大学の構内を散策しました。



京都から来た中村一徳先生(なかむら第二針療所)と待ち合わせして、北海道大学総合博物館を見学しました。



地質学、科学、生物学、天文学とあらゆる分野での研究の模様が展示されていて、中でも企画展として北海道大学名誉教授である鈴木章先生の、ノーベル化学賞受賞がありました。



会場にて、不妊症の研究仲間である東京の徐大兼先生(アキュラ鍼灸院・写真左)、同じく不妊症の研究仲間である京都の中村一徳先生(なかむら第二針療所・写真中)と私で、再会を祝して記念の一枚。

徐先生、中村先生とも不妊治療については治療法も考えているところも異なる点がありますが、逆にそれがそれぞれ得ることにもつながります。

今後技術や情報などで、なお一層の交流を持つことを約束しました。

一日目の学術プログラムが終わると、すべて北海道産の食材を使った懇親会が催され、その後二次会と三次会はススキノへ移動して楽しい夜を過ごしました。

京都の中村先生はもともとアルコールをあまり飲まない方なので、2次会でリタイヤ。



徐先生と私、ほかに香川の横山先生、京都の山村先生、地元福島・いわきの粒来和正先生(鍼灸サロン一休)と朝方時近くまで飲んじゃいました。

このとき食べたラムのしゃぶしゃぶ、、ホッケは旨かったなぁ。



大会二日目はわが福島・郡山の中沢良平先生(一寸法師ハリ治療院)が、介護予防運動について講演されました。熱心に聴き入る聴講者が多く、講演後は質問攻めに遭われていました。



学会終了後、東京と京都に空路で帰る徐先生、中村先生と寿司屋でランチ。ここは徐先生にご馳走になっちゃいました。

徐先生が3時の飛行機。
中村先生は6時の飛行機と言うことで、喫茶店を二軒ハシゴ。お別れするまで時間を惜しんでいろいろ話し込みました。中村先生とはいろいろ思い出があります。

大雪の福井に行ったときのこと、突然わが家に泊まりに来たときの話、、、翌日の磐梯町のお寺を見に行った話・・・いくらでも楽しかった話題が出ます。



私は夕方5時12分発の寝台特急・北斗星で郡山経由で白河まで帰ります。

中村先生は隣り合ったホームから、5時10分発で千歳空港へ。

お互い分かれてからもケータイのメールで、、『寝台特急、すごい電車だね。元気でね!』『そっちも飛行機気をつけてね!』とか最後の声を掛け合ってしばしのお別れをしました。



こんな大都市でディーゼル機関車と言うのも違和感を覚えます。

機関車も2台連結の重連運転というのも迫力がありますね。



苫小牧〜函館間で濃霧のため徐行し、10分の遅れがあったそうですが、B寝台個室でのんびり本を読んだり、駅弁を肴にビールを飲んだり。

汽車の旅も楽しんだ学会旅行でした。